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「現実チャンネル」に始まり、ラッパーとしても、YouTuberとしてもコアな人気を集める天竜川ナコンに、就活やキャリアについて尋ねる連載企画。
第2回目となる本記事では、馴染めなかった学生時代や激務の新卒一年目などのエピソードから、どのよう道を経て「天竜川ナコン」に至ったのかに迫ります。
※本記事は連載記事です。続編が公開され次第リンク先に飛べるようになります。
・1記事目:「就活は運ゲー」。現実チャンネル・天竜川ナコンがそれでも就活をやり切れた理由
・3記事目(5/25~公開予定)
・4記事目(6/1~公開予定)
| ▼天竜川ナコン プロフィール ラッパー・YouTuber・ブロガー。YouTubeチャンネル「現実チャンネル」を運営し、独自の視点で現実や人生に向き合い続ける姿勢をコンテンツとして発信している。HIPHOPアルバム制作のクラウドファンディングでは約1,000万円の支援が集まり、その生き様に共感するファンから熱烈な支持を集めている SNS:YouTube / X(旧Twitter) / Instagram / note |
【特別インタビュー企画】
「あの人」に聞く未来の“出会い方”社会という広い海へ漕ぎ出す就職活動。
地図も決まった航路もないなかで、
どうやって自分の進むべき道を決断すればいいのでしょうか。
必要なのは、誰かが作った正解ではなく、自分が納得して進むための「羅針盤」。
本企画では、自分だけの羅針盤をもって
オリジナルの道を歩む人たちにインタビュー。
迷いながらも進み続けた人生ストーリーから、
明日からの就活がちょっと楽しみになるヒントをお届けします。
大学を2回留年。友達ゼロ人

──ナコンさんの就活生当時のお話を聞きたいのですが、まず、どんな大学時代を過ごしたのでしょうか。
天竜川ナコン)「自分の居場所はここにはない」、そんなことばかり思っていました。うまく馴染めなかったんですね。
周りの人たちはゼミやサークルなどで関係性を作ってどんどん先へ進んでいるのに、自分だけは置いていかれている。友達もできず、結果2回も留年したのでかなり辛い時期でした。
ただ「音楽」はずっと生活に根付いていました。人とかかわらなくても作れるし、周りにリードされている分を、この音楽で取り返してやるんだと息まいていたことも覚えています。

天竜川ナコン)でも、音楽を作っている間も現実は進んでいくんですね。開いていたリードはさらに大きくなっていく。
その事実にどこかで気付いているから、追われるように音楽を作りまくる──「俺にはこれしかねえ」と。次第に勉強の時間も取れなくなっていき、そうして1回目の留年をしました。
留年が確定した日のことはよく覚えています。進級がかかっていた試験の帰り道、よく日の当たる路地裏を歩きながら「無理だったな」と、自分の人生がどんどん悪くなっていく予感に気分が悪くなっていました。
しかし一方で、「やっぱりな」とも、心の中では確かめるように思っていたんですね。
「どうせ自分には無理だった」
──この状況を予想していた?
天竜川ナコン)もともとは「留学とかしちゃうカモ?」と期待に胸を膨らませて入学したはずなのに、結局馴染めず苦しい思いをしていましたからね。
「もしかしたら……」と期待して飛び込んだ先で結局こうなっている「自分」。だからどうせ、うまくいくわけがないと思っていたんです。留年が確定したのはショックでしたが、動揺以上に「やっぱりか」、と。
リセットのチャンスかも

天竜川ナコン)その後も音楽に一層のめり込んでしまったことで2回目の留年をしてしまい、大学6年生が爆誕。
ただ、大学を2回も留年するとですね、もう自分の顔を知っているような人たちはさっぱりいなくなっています。1回目の留年はかなりきつかったですが、2回目の留年のあとは勉強も楽しくなって、以前ほどの息苦しさはなくなりましたね。
もし私と似たような状況にいる人がいたら、その状況は「一周回る」と逆に大丈夫になるかもしれません。
父親からのレアな一言で奮起
──大学卒業が近づくこのタイミング。就活も始まりますね。
天竜川ナコン)そうですね。私は就活をやりたくなくて実家の布団で寝っ転がっていたわけですが、ある日父親が部屋に入ってきたんです。その時点で相当レアな出来事です。
そして一言、「がんばりなさい」。この瞬間はとても重い意味を持った出来事として記憶に残っています。

天竜川ナコン)ただ、どこか嬉しくもあったのかもしれません。自分はうまくいかない現実を前に「やっぱりな」と思っているのに、父親からは、「頑張ればできるはず」と期待をかけられる相手としてまだ映っている。
動かないわけにはいかなくて、そうして就活を始めて、なんとか就職したわけです。
当たり前のことが当たり前にできない新卒時代
──どういった会社を選んだのでしょうか?
天竜川ナコン)コンテンツ関係です。仕事を選ぶときは「自分が得意そうなこと」から連想をするようにしていました。性格的にも一から新しいことに飛び込むのは合わない、と思ったんですね。
すでに自分の中にあるもの、そこからの延長線上で選ぶという軸です。

天竜川ナコン)ただ、入社後はマジできつかったですね。入社直後から「辞めたい」と思っていました。
もともと私は人が当たり前にできるだろうということができなくて、そんな「不適合」な部分が会社でも出てしまっていたんですな。
詰められ、注意され、苦しんで帰る。よく辞めなかったなと、今でも思います。
世の「常識」というものをものすごい勢いで詰め込まれ、今までの私とはまったく違う人間に生まれ変わりました。
たとえばその後転職することになるのですが、その際の転職軸は「もっと成長できるか」「価値を発揮して貢献できるか」という考えのもとで選んでいましたからね。
──まったく違う人間ですね。
天竜川ナコン)完全に別人でした。当時の自分を大学生の頃の、実家で天井を眺めていた自分が見たら驚くと思うし、失望するでしょうね(笑)。自分は、こうなってしまうのだ、と。
周りに生き生き働く先輩がいるかが重要
──そこまで追い込まれた場合、会社を辞めるという人も多いと思います。どうして続けられたのでしょうか?
天竜川ナコン)最初の半年はとにかくきつくてやめたかったんですけど、ちょうどそのあたりくらいですかね、「これくらいやれば大丈夫なんだ」という基準が自分のなかにできてきたんです。
細かい初歩的な怒られもなくなってきて、ようやく仕事に集中できるようになったことも大きかったと思います。仕事内容も嫌いではなかったので。

天竜川ナコン)それと、会社のなかを見渡すと、仕事に夢中になっている人とか、生き生き働いている人が結構いたんですね。それって、自分もここで働いていけばそうなれるってことだよなって。
なので、いま辞めたいと思っているけど、どうしようか踏ん切りがつかない、という人がいたら、「こうなりたい」と思える、生き生きと働いている人がいるかどうかで判断してみるのも良いと思います。
やりきって転職。ホワイトな環境へ
──その後は転職をされていますよね。1社目の退職理由について具体的に伺いたいです。
天竜川ナコン)そこで学べることを学びきったな、やりきったな、と思ったんですね。
数年でそう思えてしまうくらいものすごい密度の時間を過ごしたとも言えます。早朝に起きてスタンバイすることも、土日返上で働くこともざらでした。とにかく1社目は忙しかったの一言です。
転職後の会社はより上流の仕事で、やることも労働環境も大きく変わりました。早く帰れるし、やりがいもあるし、仲間にも恵まれた。素晴らしい場所だったと思います。
──でも、最終的にはラッパーとして独立の判断をされていますね。
天竜川ナコン)はい。時間に余白ができたことで、「火」が大きくなっていったんですな。
余白があると火は大きくなっていく

天竜川ナコン)1社目では忙しくて音楽を作る時間をなかなか取れなくても、「火」は灯り続けたままでした。「音楽をやりたい」という消えない火。
だから自分の時間をしっかりと取れるようになったなら、音楽を作りますよね。創作をします。発信をします。すると、あったはずの余白が創作で埋まるので、再び時間がなくなってくるんです。
そうなるともう、燃え上がっている火の勢いに従いたい。創作に時間をもっとかけたくなってくるわけです。私は、ラッパーになりたい。
悩みました。しかし、やらなかった人生を見たくない、と思って「やる人生」を選びました。命の使い道は「こっち」だと、はっきり思ったんですね。
34歳。苦しさを受け止めて「現実」を始める

──会社を退職し、ラッパーとして生きていく。この選択は怖くはなかったのでしょうか。
天竜川ナコン)怖いです。いまも(笑)。だってもう34歳ですからね。ただ、じゃあ10年後の44歳で独立するとしたら、そのときのほうがよっぽど怖いと思うんです。それなら今か、と。
しかし、どこか晴れやかな気持ちもあるんですね。やる、と決めたおかげで道はシンプルですし。
あとはこの現実に向き合い、やれるだけ、できることをできるだけやっていくだけです。
未来のことは全然考えていません。将来こんな野望がある、とかも一切ないです。書籍執筆やアルバム制作。いまは目の前のやりたいことに全力で向き合いたい。そんな気分です。

取材・執筆・撮影:小林駿平
執筆・編集 PORTキャリア編集部
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